寶泉寺について
江戸時代、「江口村」、「大淵村」、「西野村」に分かれる三叉路に行き倒れが多く、供養の為お地蔵様を建立しました。
毎年『春の大祭』4月23日『秋の大祭』11月23日にお参りがございます。
『春の大祭』ではお地蔵様を会場の寶泉寺までお運びし、『秋の大祭』では合わせて『お砂踏み』『水子供養』を行います。
日頃地域を御守り頂いているお地蔵様でございますので、皆様お誘い合わせの上、お参り下さい。
寺名 | 曹洞宗慈眼山 宝泉寺 |
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山号 | 慈眼山(じげんざん) |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼仏 |
開山 | 大榮寺二世 超山全宗大和尚 |
本山 |
福井県 永平寺 高祖道元禅師 神奈川県 總持寺 太祖瑩山禅師 |
住所 |
〒950-0101 新潟県新潟市江南区江口3459 |
地図 |
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墓地使用料 |
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お問い合わせ | |
アクセス |
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大永年中頃 |
【古川 又六】 大永年中頃《1521〜1528》 足利義晴公に仕え、天文年中頃、武田晴信に仕える |
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天正四年 |
【古川 大六郎】古川 又六の子(帆苅六郎兵衛) 天正四年《1576》より信長公に仕え同十三年より秀吉公に仕える(五百石) |
天正十五年 | 九州合戦にて敵船の帆を苅落とし其れより『帆苅六郎兵衛』と秀吉公より名を与えられ、千石増 都合(合計)千五百石頂戴仕候 |
元和元年夏 |
元和元年夏《1615》 大阪落城主人秀頼公自盡(自刃)薩摩へ落ちる |
元和四年 |
元和四年《1618》 同國草水村(阿賀野市草水)へ落ち、観音寺内にて観音寺十世大安善吉和尚の弟子となり義岳寒宗と号す |
元和九年 |
元和九年《1623》 元和九年より當村荒野を開き寺庵開発する |
天明 |
当山は始め阿賀野川の河中にあったが、天明《1781〜1789》年間の大洪水に流出し、現在の地に移転する。 開山は澤海大榮寺二世であり、現在の住職で三十代目となる。 |